健康リハビリのお伝え帳

美容、症状の改善、リハビリ、温泉や音楽など趣味日記

世界遺産の原爆ドームを、平和記念資料館を広島旅行でみて。日本を、戦争を今こそちゃんと知ろう。

 

 

こんにちは!

健康オタク理学療法士です!

 

今回は、広島旅行へ行った時に見学して来た

広島平和記念資料館

の感想を書かせていただきます。

 

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本当は、広島旅行の記事にまとめて書くつもりでした。

 

しかし、あまりにも収まりきらないと思い別記事にしました。

 

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正直に申し上げますと、旅行で来るまでは原爆ドーム関係のものにものすごい興味があるわけではありませんでした。

 

広島に来たから、とか世界遺産だから、みたいな感じもあったことは否めません、、、

 

もちろん原爆ドームを見ても瓦礫の散乱した姿やものすごい大きな鉄柱が歪んだものを見て衝撃を受けましたが、特に広島平和記念資料館を見てからはそんなことは言えなくなりました。

 

被害にあった方々の身につけていた実際のものや両親からの手紙など、そこで起こったものを展示しながら原爆の怖さを実感させられ、今の自分たちがいかに何も知らなかったのかを突きつけられます。

 

平和とは何なのか。

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安部政権などで、【戦争】の話題が挙がったりしますが、この資料館を見る前と後では戦争に対する考え方(というか感じ方)に差が出ます。

 

これは言い切りたいと思います。

 

想像や伝聞・推定での【戦争】ではなくて、どんな感じであったかを写真やご家族さんからの情報を基にみた【戦争】では、まるっきり違います。

 

私がこれを経験して本当に思ったことは、

[この事実を皆さんに知っていただきたい]という気持ちです。

 

戦争や原爆がどれほど恐ろしいもので、どれほど人を傷つけるのか。

どれほど苦しいものなのか。

展示物を提供してくださったご家族様は、何を望んでいるのか?

 

この怖さを、この過ちを知って欲しくて、今後繰り返さないように、ではないでしょうか?

 

だからSNSに載せるようなものじゃない、というような声もあると思いますが。

 

もう実際に飾られていますしもちろんご家族の許可は取ってますし。

何よりも、この事実を多くの皆様に知ってもらうことが第一だと思います。

 

実際見ていて心が痛すぎて自分自身、涙してしまう場面もありました。

いくつか紹介いたします。

 

 

 

 

・原爆にて被爆者の遺品とメッセージ

 

 三上直樹さん(12才)

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*母·五月さんの手記から

 

お昼前だったと思います。「お母ちゃん」と、ありたけの力を振り絞ったような声で、直樹が帰ってきました。

パンツ1枚の体になり、肩から背から血が流れています。髪の毛はみんな焼け、顔の皮ふはすっかり焼けただれて鼻の先に真っ黒な固まりになっています。手の皮はずるりと焼けむけて爪のところで止まって、五寸くらいも垂れ下がり、二度とは見られぬ姿に変わり骒てていました。

 

救護へ連れて行き、手当てを受けましたが、既に死は目前に迫っていました。「何か食べたい」という直樹に、大きなトマトを食べさせたとき、口からどくどくと出てきた、トマトより紅いあの血の色は、今でも宖の目の奥に焼き付いています。苦しい息遣いの中で、早く家に帰りたいという言葉を繰り返し、だんだん吐くばかりの息の下で、「お母ちゃん、泣いてはいけん、これだけ大きな戦争で、學徒の僕たちが生きておられることのないのは覚悟しとったよ‥母ちゃんは人のためになる事を‥」と言い切らぬうちに息を引きとりました。線香もないお通夜をすませましたものの、次の朝は、寂しさというか、たとえようもないあの気持ちは、今も忘れることができません。

8日の昼前まで一緒に寝ました。遺体を荼毘に付し、翌朝お骨を丁寧に拾いました。この時も涙すら出ませんでした。しかし、お骨箱を胸に抱いて持ち帰り、白布に包んで茶だんすの上に乗せたとき、どっと涙があふれてまいりました。

体中の水分がみんな涙に変わったのかと思うほど、私はいつまでも泣き続けました。

 

 

 

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これを見て、私は涙を止めることが出来ませんでした。

 

12歳という歳でこんなにも母親を思いやれて、先を見ていた子。

母親の気持ち。どうにも出来なかった悔しさ。

 

 

そしてこれがまぎれもない事実であり、約70年ほど前の出来事であること。

 

また、その子の実際に来ていた服が展示されており、本当にあった出来事であることをマジマジと突きつけられた感じでした。

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・息子を探すお母さんの日記

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杜夫、あなたは今どこにいる。…どこかに貴方がいる、苦しがって水を欲しがっているかもしれない。御母様御母様と呼んでいるかもしれない。見捨てて帰りたくはないのですけど何処をさがしたらいいのでしょう。明日また来るからしっかりして、耐えて待っていてねと、泣きながら帰途につきました…

貴方はどんなに御母様方を待ったでしょう。その気持ちを考えると、気が狂いそうです。比治山橋まで行きながら、鶴見橋まで足を延ばさなかった後悔、貴方に申し訳なくて、胸を穴裂にされるようです。

恐らく今日あたりは、と思うともう泣けなくなりました。それでも少しでも、負傷が軽く、どうぞ明日まで待っていて頂戴、と一晩中胸に手を当てて、貴方のそばでいるつもりで、此の思いだけでも通じてと祈って祈って一夜を明かしました。

押し切ってでも行かなかった御母様がわるい。かんにんして、許して、頑張って..

 

 

・原爆が落ちた時の写真、カメラマンの気持ち

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幸せってなんだろう。って考えました。

 

この人たちも多分「自分の人生は幸せでしたか?」と聞かれたら「大好きな人と過ごせて幸せだった。」と言うのではないかと私は思えました。

 

私たちから見れば、「現代とは違う時代に生まれてきたから戦争に巻き込まれてしまった。不幸だ。」と思うでしょう。

 

じゃあ、この人は果たして不幸だったのだろうか、、、

 

 

やはり他人の感じ方なんて全く関係ないんですよ。

 

当の本人がどう感じているか。

これが全てだと思います。

 

って基準は全て自分で、自分の人生なんですから。

 

 

そして、今の生活がどれほど幸せか。

 

好きな音楽聴いて、好きな食事食べれて、好きな仕事して。

 

自分で「今の幸せ感じていますか?」なんて記事を書きましたけど、自分自身もまた見直す良い機会になりました。

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【安らかに眠ってください

過ちは、繰り返しませんから】

 

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石碑に刻まれている言葉です。

 

 

安倍総理、本当に良いんですか、、、

 

私自身、政治にものすごく詳しいわけではないですし集団的自衛権などを知ってるくらいですから詳細は知りません。

 

しかし、【戦争が絶対にいけないこと】と言う事実は変わらないと思います。

 

日本国憲法にもありますね。

【永久にこれを放棄する】と。

 

私たちにも出来ることがあるのか、私自身もちゃんと考えたいなと思いました。

 

総理大臣に文句を言っているだけじゃ何も変わらないですからね。

 

関わりを持たずにグチグチ言うのが1番簡単です。

同じような人から同意も得られるだろうし、他者から責められることもないですから。

 

皆さんも今一度、戦争について平和や幸せについて考えてみてはいかがでしょうか。

 

私も今生きている幸せを噛み締めながら日々を過ごしていきたいと思います。

 

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ではまた。